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大阪高等裁判所 昭和39年(う)922号 判決

被告人 石川清嗣

主文

原判決を破棄する。

本件を大津地方裁判所に差戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人信正義雄同前堀政幸各作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、各これを引用する。

各弁護人の控訴趣意中事実誤認の主張について。

各所論の要旨は、原判示第一の百万円は、被告人が原判示選挙に立候補を決意した際、法定選挙費用の概算として預けたものであり、又、第二、第三の各金員は、いずれも当時被告人の関与する会社が施設拡張のため、明治乳業株式会社から不用建物を買受けるべく、これが交渉一切を田中昇に一任していたので、その建物代金および移築費として右田中に手交していたものである。これと異る記載のある田中昇の検察官に対する供述調書ならびに被告人の司法警察員、検察官に対する供述調書は、田中においては本件の金員を被告人の寄託の趣旨に反して支出したので犯罪に問われることを恐れて取調官に迎合的な供述をしたものであるし、又、被告人は取調官が右田中の供述と異るとして強要した結果、止むなく田中の供述内容と一致するよう虚偽の供述をしたものであり、いずれも信用性任意性を欠くものである。然るに原判決は、これら諸点の審理を尽さず事実を誤認するに至つたものである、というのである。

よつて、記録を精査し案ずるに、被告人ならびに田中昇の各供述調書はその作成形式及びその内容につき他の証拠と比較検討しても任意性を疑うべき点は勿論、その信用性を減殺せしめる廉はなく、十分信用し得るものである。そして原判決挙示の各証拠を綜合すると、被告人は、かつて志賀町の収入役をしたり、昭和三一年頃から町会議員をなし最後には議長の職にも就いたことから、同じく町助役の職にあつた田中昇とは公私にわたり親交の間柄にあり、殊に同町の発展のためには大津市に合併することが必要であり、これが実現のためにはいずれかが町長か県議に出馬しなければならないと意見の一致をみるに及び、互に話合つた末、結局右田中のすすめもあつて被告人が原判示の県会議員選挙に滋賀県から出馬しようと考えるに至つたこと、ところで田中は被告人が当選するためには、約三、四百万円の運動資金が必要と考えたにかかわらず、被告人は百万円程度で選挙に臨む意向であり、両者間に意見の一致をみるに至らなかつたため、昭和三八年三月初頃、先輩の県議であつた吉川孫右衛門を京都に訪ね選挙対策につき意見を聴取する等したところ、同人も亦合法、非合法あわせ約三百万円の運動資金が必要であり、殊に右金員の支出には候補者は一切関係しないで選挙運動をすべきである旨助言するに至つたため、両者の間において右選挙については被告人において約三百万円の右資金を調達して田中に交付し、右資金の支出はすべて田中において行い、特に投票買収等金員の支出を伴う運動は被告人において一切関係せず、田中がこれに当ることと決め、愈々被告人が立候補する決意を固めるに至つたこと、その結果被告人は同年三月一〇日頃、義弟にして自己の関係会社である双和産業株式会社の社長石川昭和に対し約二百万円の金策を依頼し、更に同月二〇日頃自己経営の大津製函株式会社専務取締役竹端忠七に命じ百万円の支出を命じたこと、右石川は早速滋賀相互銀行安曇川支店に融資方を申込んだが、全額を一時に借入れるためには相当期間の日時を要する状況にあつたので、とりあえず三月一八日頃定期預金を担保に一〇〇万円を借り受け即日被告人に手交し、残金五〇万円は同月二二日頃利息を差引き四七万円を受取り同月二四日頃被告人にこれを手交し、なお不足分五〇万円は同月二五日頃預金を引出し同月二七日頃被告人に手交し、一方右竹端も会社の会計とは別途に滋賀銀行より預金担保に九八八、八四〇円を借用し三月二六日頃被告人に手交したこと、被告人は田中との前記協議に基き、右受領の金員のうち前記一〇〇万円は判示第一記載の日時に、又、四七万円は判示第二記載の日時に、次いで前記五〇万円と九八万円余とを合せた合計一、四八八、〇〇〇円は判示第三記載の日時に、それぞれ前記資金として田中昇に手交したこと、田中は被告人との約に従い右受領の金員のうち一〇〇万円は法定選挙費用分約六〇万円を含めて出納責任者南勘之助に手渡し、残余の一、九五八、〇〇〇円はこれに自己資金四〇万円および後日石川昭和から受取つた五〇万円を合せ全部を、選挙人又は選挙運動者と窺える者に投票ならびに選挙運動を依頼し、その報酬として手渡したことを窺うに充分である。もつとも前記田中昇が出納責任者に手交した金員のうちには、正当な選挙運動の費用に充てられた部分のあることは充分これを窺い得るところであるが、原判決挙示の証拠のみによつては、そのいずれの部分が買収資金でいずれの部分が費用であるかを区別出来ない関係において手交したものと認めざるを得ないから、その金員全額につき不法性を帯びるものと解すべきであるし、又、証人田中昇、石川昭和の証言ならびに被告人の公判廷における供述中には前記金員のうち二〇〇万円は、当時被告人の関係会社が明治乳業株式会社から買受けようとしていた建物代金及び移築費である旨の供述部分があるが、右主張は同人らが捜査段階では供述しなかつたところであり、かつ、取調べの証拠によるも売買の話合が進行していたことは認められるけれども、未だ所論の如き契約が成立して代金を支払う段階にまで至つてなかつたこと明らかにして、とうてい預金を引出したり、定期預金を担保に入れて借金までして資金を準備するようなことは考えられないところであるから措信し得ない。そうすると、本件の各金員は被告人より田中昇に対し被告人のため選挙区内の選挙人の投票を買収する等のための資金として手交したものというべく、原判決が右と同趣旨の金員であると認定した点については事実誤認はなく、その他記録を検討しても右認定を疑わしめる証拠は見出し得ず、原判決がこの点につき爾余の弁護人申請の証拠を取調べなかつたことには、審理不尽の廉はない。

各弁護人の控訴趣意中法令適用の誤りの主張について。

所論は、仮に本件の各金員が原判示の如き趣旨のもと田中に手交されたものであるとすれば、他方その挙示証拠中には、本件の金員を受領した田中昇が、そのうちから法定の選挙費用を除く大部分の金員を、選挙人或は選挙運動者と認められる者に供与或は交付したことを窺わしむる部分が存在するから、右事実関係を探索すれば、容易に被告人と田中昇との共謀による買収行為が認め得るところとも考えられるから、少くとも右金銭授受の段階は単に共犯者間内部における準備行為と目され、交付罪は勿論事前運動も成立しないものと言うべきである。然るに原判決がこの点を究明しないで原判示事実を認定し、交付罪ならびに事前運動違反罪をもつて処断したのは、公職選挙法二二一条一項五号、一二九条の解釈適用を誤り、延いては審理を尽さず、事実を誤認した結果によるものであるというのである。

よつて、審案するに、公職選挙法二二一条一項五号にいわゆる交付、受交付罪は、供与罪等の準備行為としての危険犯たるところに行為の違法性が認められるものであるから、同条一号ないし三号の行為をなさしめる目的をもつて選挙運動者に金銭若しくは物品を交付した時に成立するものであるが、更に受交付者が交付者の意を体し、選挙人らに供与又は饗応接待すれば、交付者受交付者間においては、既に金銭授受の際互にその意思を通じているのであるから、特段の事情の認められない限り両当事者は共謀の上選挙人らに対し供与又は饗応接待をなしたものと認むべきであり、交付者は右受交付者の供与罪の共同正犯者となり、さきの授受(交付および受交付罪)はこれに吸収され別罪を構成しないものと解すべきである。これを本件についてみるに、本件の各金員は、被告人が自己の当選を得る目的をもつて選挙運動者である田中昇に対し、同人をして選挙人を買収せしめる資金等として手交したものであること前段説明のとおりであるが、なお、田中昇の検察官に対する供述調書ならびに被告人の司法警察員検察官に対する供述調書を仔細に検討すると、これが裏付の証拠はともかくとして、田中昇は前記手交された金員のうち一〇〇万円は出納責任者に対し、法定の選挙費用約六〇万円を含めて手渡したほか、残余の約一、九五八、〇〇〇円はこれに自己資金や石川昭和より手交された金員を加え、すべてを選挙人又は選挙運動者に供与したこと(田中昇の昭和三八年六月三日付供述調書添付の選挙運動費用収支一覧表参照)が窺れるだけでなく、更には右金員を授受する以前、前示説明の如く、両名して吉川孫右衛門を訪れる等なし、選挙対策、殊に各地区別の獲得票数の予定ならびに買収等の選挙運動の方策をたてたり、或は対立候補者の立候補を断念させる等の方法まで話合い、これが資金として被告人において約三〇〇万円を調達支出し、右運動に関する金銭の支出は一切田中昇において行い、殊に金銭の支出を伴う選挙運動(買収等の違法な運動)は一切被告人において関係しないこととする旨の協議をもしたことが記録上散見出来、しかも、田中が支出した金員のうち橋本由之助、竹端競、下尾伊名太に供与した金員については、被告人もこれを指示する等して関与していることが窺い得るところである。そうすると、右供与の各事実を補強確定する証拠の点はしばらくおき、若し本件の金員授受の際被告人と田中昇とが謀議したとおり田中が供与したものであるとすれば、被告人と田中昇との共謀による公職選挙法二二一条一項一号の供与罪が成立し、被告人が田中昇に金銭を交付した交付罪はこれに吸収され供与罪のみ成立するものと解すべきところであるから、原判決が本件各金員の授受を買収費の授受であると認定する以上、右謀議の点のみでなく、実行行為担当の田中のなした供与の各事実について更に証拠を取り調べて究明しない限り、本件の行為が交付罪に止まるのか、又は共謀による供与罪を構成するに至るのか判定し得ないものである。されば、原判決が右説示の各点につき証拠調をなさないで、原判示法条をもつて適用処断したのは、公職選挙法二二一条一項の解釈適用を誤り、延いては審理を尽さず事実を誤認した疑いがあり、とうてい破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、その余の控訴趣意に対する判断を省略したうえ、刑事訴訟法三九七条三八〇条三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所たる大津地方裁判所に差し戻すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 石合茂四郎 木本繁 西村清治)

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